感情、思いやり、愛情・・など
情こそ人間にある根本なのだと思います。大切にしていかなければならないものですが、大切にできているかというと、私の反省として、正直普段は意識していないというのが本音です。
情は他人に対する思いやりの気持ちを漢字一文字で指した、日本ならではの奥深い意味を持つものだと思います。
例えば、働く場面では、自分一人ではなく他の誰かとの関わりが伴いますので、他の人と意志、価値観、基準などが違うことに戸惑うと思います。そのようなときに、そのギャップを埋めるものの一つに情を使うことも多いのではないかと思います。
就労移行支援事業所ユースターでは、ユースターを利用される方が就職したいと思う企業へ、業務の体験として、実際の職場に実習に行っていただいています。
企業と本人の間に立って支援スタッフが実習の日程、段取り、結果の報告や、次につなげるための計画など、詳細を調整するのですが、その際、ある企業の経営者の方がおっしゃっていたことばがあります。それは、たとえ障がいがあっても同じお給料を支払うので、障がいの無い社員と全く同じ仕事と成果を出してもらわないと雇えない、ということでした。雇用者としては当然なお気持ちだ思います。
むしろそこで、根拠なき妥協のようなことを企業がすると、就職の最初から、業務内容や指示の絶対性、仕事のやりがい、成果の基準があいまいとなる可能性があります。
その後働き続けれたとしても、労使の関係がずっとそのままでゆくと、何年も先、どこかで労使双方に行き詰まり感が出てくる可能性があるのです。
つまり雇用者は、妥協なのか?、配慮なのか?、の違いをはっきりさせて、従業員として指導育成もし、基準をもって評価とフィードバックもしていただけることが理想ですし、就労が長く続く大事なポイントでもあるのです。
そして、それらの全ての間には、ズレ、ギャップが生じがちなので、それを埋めてゆくのが「情」なのだと思います。
障がいのある方の就労の場合「情」はあくまで全面表面に出てくるものではなく、うしろから緩衝材のように登場するものであると良いと思います。
「情」だけで雇うとそれは企業側の妥協による雇用になり、長続きしにくくなります。本人と企業どちらも長続きするためには、就労者である本人は、できることを最大やってもらう、その成果から、企業は雇って良かったと思っていただく、そして大切にしたい従業員となるのです。
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