今日のテーマは、一文字の「等」です。
『等』という単語はとても便利で、私も頻発・・いや乱発とも言えてしまうほど使っています。
とても便利、と思う理由は「〇は△です」・・と〇に対応するものが一種類だけのときには「等」は不要なのですが、複数の類似するものがあるとき、絞れないときに「等」とまとめてしまうことができるからです。多くの方が便利に使われているのではないでしょうか?
でも読み手からすると、「あ~そうか、〇は△だったのか~」と信じ、知識として頭に入れようとした瞬間「等」が文末にあるのが目に飛び込んできた時、「この他にもあるんだ」とい少し気になるかもしれないです。「等」を見た時は、どのように反応したら良いのか困る時もあります。
正直に言いまして、あまり気にせず、むしろ「等」は無かったかのようにスルーする時もあるのではないでしょうか?私は「等」を想像してもしかたがないので、スルーすることが多いです。
どうしても、具体的に表わされているもの、それも特に最初に出ている言葉に意識や記憶が向きがちです。
例えば、「身体に良い栄養素は、、たんぱく質、ビタミン、ミネラル等。。」と書かれてあったとします、いつの間にか「あー身体に良いのはタンパク質とビタミンとミネラルねー」とイメージしてしまいます、それが他の人に伝えるとき、大事な栄養素はタンパク質とビタミンとミネラルだけ、となってしまうことはないでしょうか?「等」に隠されている脂質、炭水化物はもちろん文字に出ている3栄養素と同等に大事なのはご存じの通りです。でもここでは表現の中では落選してしまっています。
つまり「等」は同等に大事なこと、隠れているけど同じだけ価値あるものが潜んでいる、と考えなければならない、と思います。
また、一方で、私もですが、断定できない、言い切れる自信がないときにも「等」を使ってしまうこともあります。私が「〇〇などかなあ~」とかいう時は疑って欲しいと思います💦
そのように、「等」に翻弄させられてあいまいに過ごしている自分を感じつつ、就労移行支援事業所ユースターを利用される方が歩みだす社会や会社組織の中でのあいまいさにどう備えたら良いか、を考えると、皆さんとても難しいチャレンジをされるのだ、と改めて感じます。そこで次のブログでは、就労支援の場で起こる「等」に翻弄される場面について触れさせていただきます。
(-つづく)
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