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執筆者の写真吉岡 俊史

助言

ふと「助言とはどうあるべきで、どこまでのことを言うのか?」ということが気になりました。

ある福祉関連の相談機関に勤務する方が、相談者さんの生活について助言を求められ助言をしたということをお聞きしました。もちろん相談機関は訪ねてこられる方の相談に応えるのが役割ですので、対応をされたのですが、どこまでを自分でやって、どこからを支援にするか、ご本人との合意が難しいとのことでした。

自分で考えて行動できる範囲までをも助言を求めてくるということのようです。


私達、就労移行支援事業所ユースターは、就職や働くことに特化した事業所ですが、就職とともに社会での生活が始まる方がほとんどですので、生活に関して助言を求められることも多くあります。


助言というのはあくまで「〇〇をしたら良いかもしれません」とか「〇〇はまだやらないでも大丈夫です」「ご参考までに・・」などの言葉を使うことが多いのです。しかし一方で、私の場合ですが、助言を受けると、それに乗ってしまいがちです。特に自分ではアイデアが無い場合、どうして良いかわからないときは「助言」は道しるべ・・まるで車でいうカーナビのように、助言通りに行うと、必ずゴールにたどり着く、それが心地良かったり、安心感になるのです。自分では決められないときに、助言は大変ありがたいものです。


決めてもらえる、言われた通りにしていれば安心、という一方で、自分のやりたい方向は決まっていて、誰かにゴーサインを出してほしい・・・「それで良いです」と言って欲しい場合もあって、その時には自分の欲求や意図していることと同じ助言があると良いなぁ・・・と期待します。

しかし意図しなかった助言を受けた場合、あるいは自分の案を否定された場合、その助言はとてもショックであったり、時には不快なものになります。

そもそも助言は『”助け”になる言葉』ですので、結果として助けになったとしても、意図しない助言であった瞬間の自分には助けられた気はしないのです。


再び助言する側に戻ると・・つまり、相手の想いによって、助言が功を奏したり、逆効果だったりすることがあるのだと思います。


就労移行支援事業所ユースターの就職に向けた支援に置き換えてみると、就職先を決めるタイミングで、支援スタッフはどのような声を本人にかけるのか、がとても大事になります。それは助言であるべきなのか?場面に応じて考えてゆく必要があります。

なぜなら、本人は就職活動をしている間にも多くの「経験」を重ねてゆきます。

つまり、就職活動を始めた当時の本人よりも、毎日多くの企業の求人情報を見た本人は変わってきているのだ、ということを支援スタッフとしてもしっかりと認識し、いつまでもゼロからの助言をすることなく、本人の傍らにいながら本人に蓄積された経験や情報を尊重してゆきたいと思います。

助言を求められたらそれが本人のプラスになるようにしたいです。


偉そうなことを言いますが、支援は常にあるもの、でも助言は求められて行うのが一番自然なのかもしれないです。


面談で助言をしている様子
助言は一方的なものではなく、相手の気持ちを捉えながら行うということを心掛けたいです










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