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執筆者の写真吉岡 俊史

完ぺき

完ぺき(完璧)を目指す人は多いですが、逆に完ぺきを避ける人にも出会います。


自分は一点の非も無く完ぺきに生きたい、と思う人もいるのでしょうが、それは難題です。

完ぺきに生きるということは、本人が満足できる状態を維持できていることでしょうから、とても生きにくい気もします。


そもそも完ぺきという状態はどのようなもので、誰が決めるのか、という点もあいまいです。

自分で今の状態に満足ができないから完ぺきではない、と自己評価をしているだけなのかもしれませんし、人の評価を気にしがちなのかもしれません。人に頼ることをしたくない、という想いがあるのかもしれません。


人から認められたい、でも完ぺきでないと人から認められないだろう、と決めている人も完ぺきにこだわりがちです。


就労支援について考えてみますと、完ぺきを目指す方は就活も完ぺきにこなそうとされます。

まずは条件ですが、自分が求める条件に100%合致する企業を求めたり、条件が良くない部分ばかりに焦点が当たり、選ぶことに難航することもあります。

そして自分の働き方です・・完ぺきを目指す方は自分も入社初日から完ぺきでないといけない、と思ってしまいがちです。一つのミス、入社後初めてのミスで大ショックを受ける方もいます。


ここでは、完ぺきは良くない、と書くべきなのかもしれません・・しかし完ぺきが良くないことなのか、といいますとそうでもないのです。

完ぺきであるから得られることも多くあると思うのです。


例えば就労移行支援事業所ユースターの活動では、完ぺきな仕上がりを求める方がチームの中にいると、当然そのチームの出来栄えは良くなるのです。

完ぺきを目指す人が一人でもいた方が全体としてはレベルアップするのかもしれません。

もちろん、他の人に完ぺきを強いることのないようにしなければならないのは言うまでもありませんが・・


完ぺきが良いか悪いかの議論は置いておき、いずれにしても、完ぺきな生き方が自分に合っているか、合っていないのか、を考えるべきかと思います。そして、完ぺきというのは一つの価値観であることを知って、それを目指すも目指さないも、人それぞれの選択であり、尊重しあうことが大事なのかと思います。












閲覧数:15回1件のコメント

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1 Comment


吾 桜
吾 桜
Nov 29

『「絶対」は在る、但しそれは自然界ではなく仮定や仮説の中に限る』

過去に私が手帳に記した言葉です。個々人が200%の目標を設定し半分実現出来たら100%になりますね。


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