日本に生活する方は、誰でも”就学”というプロセスは経るものである・・というのが一般的な考え方です。現代では学校に行く経験、少なくともその権利や機会は誰でも得ている前提があります。
障がい者の手帳を保有している65歳未満までの方が利用できる就労移行支援事業所があります。
年齢や最終学齢に関係なく、どなたにも来ていただきたい就労移行支援事業所ユースターではありますが、最近は、高校・大学など、学校を卒業した直後の方が比較的多くいらっしゃいます。
学校卒業の直後となると、今まで何かを学んでいた、先生が身近にいた、という環境からのシフトですから、感覚的には、就労移行支援事業所ユースターでも「何かを学ぶ場所、教えてもらう場所」という構えをひきづって、学校と似たようなイメージを持ちながら、通い始める方が多いようです。
私たち支援スタッフは「教育をする」という立場のものではないことや、場合によってアドバイスはさせていただくものの、指導をする立ち位置にはいないことは、今まで何度となくお伝えしてきました。
しかし、最近では、教えて欲しいという希望や、アドバイスやカウンセリングと「教える」を混同されている場面が増えています。
そのこと自体を問題視するものではありません。福祉の支援の場面で、教えることを否定するわけでもありません。なぜなら必要に応じて、支援という枠組みの中でも教示することは出てくるからです。
社会の様々なことは、経験によって理解してゆくことがほとんどではありますが、その入り口では、誰かが導入として理屈などを教えることでサポートする必要がありますし、社会ルールの未知は誰かが理論や考え方を教えることで理解が深まる事柄もあるからです。
そもそも、誰にも学習するということは、生涯通して必要なことではあると思いますし、それはユースターを利用される方だけではなく支援スタッフも同じです。支援スタッフも学習しながら支援を続けさせていただいています。
そうなりますと「支援する」とは何か?教えるとは何が違うのか・・と疑問になります。
個人的な見解ですが、「支援する」とは、福祉サービスを利用する方が、支援者との双方向の関わりを感じながら、自分を発見して、自分を大事に感じたり、自信を持てるようになるということが第一にあるのだと思います。そして、その2者以外の要素として、第三の人、物、空間といった第三の要素も加わった中で生きてゆくことから、自分はどのように社会の中で生きてゆくのかを発見し、確立してゆくのだと思います。
教えてもらっているだけでは、「自分」がそこには意識されにくいので、「支援」という形にして「自分」をもっと引き立たせていただきたいと思うのです。
硬い話しになってしまいました。つづきでは、「教わる」と「支援を受ける」をもう少し具体的に考えたいと思います。
(=つづく)
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