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執筆者の写真吉岡 俊史

ことばと文章

ことばで話すことが苦手な方がいらっしゃいます。 

その一方で文章の読解や文章を書くことが苦手な方もいらっしゃいます。


どちらかだけの方だけではなく、両方苦手とおっしゃる方も少なくないです。

苦手とおっしゃる方から詳しくお話しをうかがっていると、(よく言われることかもしれませんが)”苦手”ということと”できない”ということとは別ものだと実感します。


苦手ということは自分の主観的な捉えが中心になった評価です。苦手であっても毎日やっている、なんとなくできている、という場合もあるのです。


先日、ある方とお話ししていたとき、その方が、ことばで話すことが苦手で、本当に自分は損をしているような気がする、と”とても流暢に多くの表現を使って”説明されていました。

むしろ私の使うことばを訂正したりされ、きちんとしたことばを使いたいという気持ちが強いことがわかりました。

その方がおっしゃることばで想いは私に伝わっていることを、ご本人の使っていることばを繰り返しながらお伝えすると、ご自分でも驚いている様子がありました。

・・・・でも苦手なのだということでした・・・


ことばを話したり、書いたりする行為は、その機能自体に何らかの障がい等が無い場合は、緊急の場合や危険があるとき(いざとなると)苦手でもやるのだと思います。

ただ、あくまで自分がやりにくい、そのことを実行する際に気持ちが乗らない、苦痛である、ととらえているのかもしれません。


ことばで伝えることや、文字を書く、という行為には代替手段が色々と存在します。

ですのでその代替手段を使ってコミュニケーションは取れるとは思うのですが、苦手とする方は「代替手段をも苦手」と感じてしまう方もいらっしゃるようです。



ことばや文章という道具を使えないというより、もっと本質的な部分にサポートの目を向けたいと思います。

人とのコミュニケーション、自分の気持ちを相手にわかってもらう、言葉や文字に置き換えて伝える、といった点で成功した実感が少ないことから「苦手」の部類に入れてしまっている可能性もあると思うからです。



就労移行支援事業所ユースターでは、文字を書いたり、ことばで相手に伝えたり、表現するプログラムが複数ありますが、できた・できないという評価を求めるプログラムではありません。

(そのプログラムに)主体的に参加する、参加できて、自分の力に向き合う、そして実際はどのように感じたのか・・という主旨があるのです。


二人の人が話しをしているがかみあわない写真
ことばや文章が苦手、代替手段も苦手、コミュニケーション自体が苦手?

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