一つ前のブログでは、時間や生活リズムについて、スタンダードが変わっていることと、それに合わせた支援について書かせていただきました。
今日は「知識や情報の収集方法」つまり「知ること」についてです。
私たちの今は、情報を得るなど物事を知る方法として、辞書や誰かに聞くといった手段から、インターネットに変わり、検索さえすればパソコン(?)が調べてくれる時代です。
それどころか「検索」という行為自体も、自分でやらなくてもAIがやってくれる・・時代です。
自ら探し方を考えて、行動して知る、といった過程を苦労したり楽しんだりする時間はどんどん短縮化して、結果がすぐに目の前に用意される時代です。
そういったトレンドを否定したり、意義を唱えることはするべきではないと思います。なぜなら、自分を含めて、誰もが、何等かの形で、結果がすぐ出るそのようなツールを利用し、その状態を社会全体が受け入れ、広がりながら進化しているからです。その恩恵を受けて生活しているのはまぎれもなく私たちだからです。
何事も結果をすぐに得ることができる技術発展や、それを身近に享受できることにむしろ感謝をしたいと思います。
就労移行支援事業所ユースターから就職される方の中には、デジタル分野への就職者がいらっしゃいます。ここまで会社の経理や業務がデジタル化されていなければ、パソコンは得意だが人間関係に自信がない方が働くチャンスも広がらなかったかもしれません。
自分の親世代は、「便利な世の中になったねー・・・」などと言っていましたが、今の世代は、そのようなセリフは出てこないような気がします。
それは、便利であることはあたりまえで、スタンダードになっているからだと思います。
むしろ、自分が感情を持つ人間であることを確認するために、たまにアナログな行動をしたり、癒しを得るためにあえて「不便さ」を求めたりすることすらあるのです。
ヒトとしての自分を置き去りにしないための行動かもしれません。
つまり、情報を得るためであれば、ただひたすら時間短縮、効率化が良いかもしれませんが、一方で、情報を得ること、知ることだけではなく、その過程で得る刺激、感動、怒り、喜びなど「心を動かされること」の魅力も知っている人もいらっしゃいます。その両方が共存できると「知る」ことの価値が増すような気がします。
「知ること」は単に「答えだけ」を得るのではなく、知識や見識にともなって、自分の意見を持つこと、その知識をもってどのように判断して行動したらよいかを”自分で考えてみること”だと思います。そして”知ったこと”をもとに汎用化してみたり、自分らしく応用する・・そのための「知ること」でありたいと思っています。
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