「自己決定の支援」というやや専門的な言葉が福祉分野ではよく聞かれます。
自己決定は、その名のとおり「自分で決められるように支援をする」ことなのですが、それは、他の人が口を出さないとか・・人に頼らず自分で全てをできないとだめである・・・ということを言っているのではありません。
更にいうと「自己決定」は、自己責任までも押し付けてしまうと、本人に大きな負担になりますので、そうであってはなりません。
人によってですが、自分で決められるということは望むが、自分で責任を持つまではイメージしていないという方もいらっしゃるのです。
つまり自己決定は決して本人を一人にしない、突き放さないということが大前提にある支援だと思うのです。
誤った理解のもとで自己決定の支援を進めると、いつの間にか本人との信頼関係が崩れたり、本人の自立心までもが削がれる逆効果になりかねません。
そのような、とても繊細で注意深い配慮と気持ちの支えが伴う「自己決定の支援」ですが、必要になることは何かを考えたとき、一つには『支援する人や周りの人の、本人に対する姿勢』ではないかと思うのです。
ここで言う”姿勢”とは、本人からの視点で言えば、支援をする人が自分とフェアで対等であること、そして対等な立場の相手から受ける自己決定の支援の量が常に調節されていることなのかもしれません。
支援の量が調節されている、という意味は”支援する人がどこまで本人に介入するのか”、”口を出すべきか”、”決めるか”・・が常に客観的にチェックされ、ほどよい程度の関わりに保たれている、ということです。
支援する人が全く口を出さず、介入もせず、本人を見ない・・ということは「0」支援になりますし、本人にとっては物足りないでしょう。一方「100」であると、多すぎて自分が決めたいことも他の人に決められてしまうということになってしまいます。
考えてみれば、支援を受ける本人と支援者だけではなく、ほどよい関わりは良い人間関係を維持する上では、社会で生活する全ての人にとって重要なポイントです。
本人と支援者の関係に限らず、家族間、友人間、仕事の人間関係でも同じことだと思うのです。
フェアで対等、関わりが客観的にチェックされ、ちょうど良く調節されることは、人と人が一緒にいる社会では必要なことになるのだと思います。
次のブログでは、私の実体験も含めて、支援スタッフとしては、何か必要で、どうしたら良いのか?などで思うことを書かせていただきます。
(=つづく)

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