福祉のしくみ、特に就労支援にスポットをあて、個性が生きる良い就労支援とは何かを書かせていただいています。
・・就労アセスメントという言葉があります。
その方の働く力を評価するものですが、それ自体も進化していて、ある方の就労アセスメントは、過去は単に「〇〇の仕事ができる」「〇〇が苦手」という評価だけでしたが、今は、本人が持つ潜在的な感性や価値観も合わせてみることで、仕事観や将来設計力なども見ることが求められているのです。
「本人が持つ潜在的な力を、誰が発見するのか?そしてそれを生かしながら生きてゆくことが叶えられているのか?」を考える際、今の福祉制度の就労支援では支えきれていない部分もあるのではないでしょうか。
前のブログで、包括ケアのように福祉サービスのコーディネートについて触れましたが、コーディネートは同時にカスタマイズでなければなりません。
今の福祉制度の就労支援には、働きたいという方の潜在的な力をしっかり発揮できるように支援する「柔軟性」や「余裕」あるいは「余白」という部分に乏しさを感じます。
当たり前に尊重されるべき一人の人格と個性よりも、形としての社会参加をすることが優先されているように感じます。
つまり学校でも福祉施設でも〇〇人の就職者が出た、ということが就労支援の良し悪しの基準になっているように見えます。
本当はそこではなく、本人が障がいを持ちながらも自分の魅力や個性を生かした働き方ができたとか、力を発揮しやすい環境でキャリアを積んでいるかという点が就労支援の良し悪しの基準になるべきだと思うのです。
今はやろうと思えば、どこの場所でも働ける時代です。自宅はもちろん、リゾート地でバカンスと両立しながら仕事をする・・家族と過ごしつつ仕事をする・・自分の代わりにアバターに会議参加や仕事に従事させるなど、働く方法や目的は多彩で、かつての就労とはまったく違ってきています。
就労移行支援事業所ユースターの就労支援の例ですが・・・
自分の強みを生かして就労をする、といいながら、私達支援スタッフは、つい支援施設に来ないと支援ができない、就労支援施設は毎日通う前提で制度が作られている・・など多くの制約とのジレンマを感じながら、障がいのある方の個性が福祉のシステムに合致しなければ、その方の生き方を、事実上受け付けない状態にすらなっていることに大きな痛みを感じます。
例えば、他人との接触自体が怖い、緊張が高すぎるなどに悩んでいる人は、家にいることが唯一自分を保てる環境なのかもしれません。そして、その状態であれば自分の個性とスキルを発揮できるとします。
その方がリモートで働くことを想定したリモートの環境での就労支援を受ける事は、ナチュラルな自分に環境を合わせた支援と言えます。
たしかに、福祉制度の就労支援の中に、リモート(非対面)という方法を使った支援も選択肢としては認められています。しかし、通って働く、毎日働く・・を基準とした制約に阻まれることも多くあるのです。
更に、その制約のために、自分は例外的なことをしていると感じて「福祉や社会のシステムに合わせるために、自分が変わらなければならない」とプレッシャーを受けている場合もあるのです。そうだとしたら、その方にこそ安心をもたらす福祉であるべきなのだと思います。
そもそも施設に通う支援か?リモートか?、と分けること自体がナンセンスな時代にいることを改めて認識したいです。
本人と支援者が合意したものであれば・・本人の個性が生きる支援であれば・・それはまさに満足をもたらす支援なのではないかと思うからです。
ナチュラルな自分と社会の間で葛藤している方は多くいらっしゃると思います。
本人が望む働き方への就労支援、もっとシンプルでリアルで、あたりまえのようにある就労支援を目指したいと思います。
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