「協力してやりましょう」。。。
それは、なんて過酷で、理解不能で、難題なのでしょうか・・・
「協力する」という指示、言葉、行為が、いかにあいまいで、障がいのある方の一部にはとても高いハードルになりかねないということを、前のブログで書かせていただきました。
それでも、私達支援者は、支援の中で、その言葉を使ったり、支援に取り入れたりします。なぜなら、それは社会の中で生きて活動してゆく上で、耳にしたり、頻繁に求められたりして、難しいながらも必要になる時があるスキルだからです。
願わくば、判断力や周囲を認識して処理できれば自分でも楽になるのではないか?とも思っています。
一つ前のブログで、空気を読んで動くことが大の苦手である方の中には、どのタイミングでどのように動いたらよいかわからない、と書きました。
”空気を読む”のはそれだけで心が折れたり、悲観的な気持ちになってしまうほど難しい行為なのです。そして「協力をする」のは”空気を読む”力が、モリモリ盛り込まれた行為となっています。
これは、ユースターの利用者の方や障がいのある方に限られたものではなく、大雑把に「協力をして」と言われても、具体性が無ければ、何から始めたらよいか、誰でも戸惑うかもしれません。
このように、自分から率先して仕事を求める、という事はハードルがとても高いです。そのために、就職後に動く就職後支援では、仕事の内容だけではなく、タイミングや仕事の始め方についても支援者がサポートをするのです。
そう考えると、協力してーは、相手の状況を見ずに簡単に他の人に依頼するものではないのかな?とも思ってしまいます。いや気軽に協力して、は頼んで良いと思いますが、やはり誰であっても、すぐその後に「では〇〇をして下さい」が付いてくると、協力が本当に行動になって、良い結果になるのではないでしょうか。
協力という行為や言葉は「善」の象徴のようにも聞こえて多用されますし、協力の基準や結果が明確では無いので、誰も責めないようにも思われます。それがために、協力という言葉は、更に使いやすい言葉になっているのかもしれません。
そもそも人と人の関係は大変繊細で微妙なものですので、対人関係の作り方が苦手な方は、『協力』という「一歩踏み込んだ行動」には大きな抵抗を持つのだと思います。周囲の配慮とは、そういった面も含めての「理解」なのかもしれません。
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