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執筆者の写真吉岡 俊史

届けること①

局地的な大雨が日本各地でありました。気候だけではなく、次々と起こる社会不安も重なって、私たちヒトは危機をどう乗り越えるか試されている気がします。


人間はお互いに意思を通わせることができます、それも言葉だけで意思を伝えているのではないのです。言葉だけが意思伝達の方法ではないことは、誰もが感じているのではないでしょうか。

言語は国や地域によって違います。同じ国の中にも異なる言語がある国も多く、それらを数えると世界には7000近くもの言語があると言われています。私たちは、異なる言語の人とも意思を通わせながら生きています。


私たち日本人は、外国の方と話すのを躊躇することがあります「言葉が通じないので・・

・」と言う方もいらっしゃいます。でも、実際に会って、身振り手振りや絵を描いたりする事で、意気投合したり、お互い笑いあったりできます。案外意思が伝わっているものです・

・・なぜなのでしょうか?


恐らく、そこには、お互いが「気持ちを届けよう」という意識があり、それによって、全部ではなくとも、一定程度だけでも目的が達成され、気持ちは満たされるからではないでしょうか。


つまり、相手に気持ちを届けたいという意志、それが双方にあったとしたら、伝わりあったりわかりあうことができるのだと思います。 

非言語のコミュニケーションの不思議でもあり、尊ささえ感じます。


海外旅行に行ったとき、言葉は全く通じなくても、お土産屋で買い物ができます。

なぜでしょうか?・・・

そこには、売りたい人、買いたい人 という立場のヒトがいて、目的が明確にあって、その目的が共通の認識となっているからだと思います。

そして、売り買いという場面や『状況』が誰にでもわかるようにあるからだと思います。

さらに「これは良いもの・おすすめだから買ってください」という意志と「お土産としておしゃれなものを買いたいです」という気持ちが相手に『届く』からではないでしょうか。


極端な言い方かもしれませんが、人と人の間の「想い」と「意志」が一致していたら、言語などは絶対的なものではないのかもしれません。よく言われる道具であり、それも無くてもなんとかなる道具なのかもしれません。両者が同じ想いがあって、相手を信頼してその想いを伝えあう事は何事も乗り越えられるのだと思います。


利用者の方と協力して草抜きをしています
皆さん意志を伝えながら協力して環境整備を行いました





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