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執筆者の写真吉岡 俊史

親なきあとを考える②

「障がいによって、自分で生活ができないであろう」。。。だから、主に家族などがフォローをしている。


親なきあと・・というのは、その「フォローが無くなってしまう(=ゼロになる)」ときで、そのときを考えると、家族に無限の不安が押し寄せることになるのだと思います。


ここで、上に書きました以下2点について着目したいと思います・・

①「障がいによって、自分で生活ができないであろう」

②「フォローが無くなってしまう(=ゼロになる)」


①「障がいによって、自分で生活ができない」と考えがちですが、一つ一つの「できない」を見るべきです。それらは全てが障がいによるものでしょうか?

障がいがもたらす生活の制限とは、例えば、”伝えたい事を言葉で伝えられない”や”身の回りのことが自分でできない”・・・その他たくさん・・だったとします。

障がいの状況にもよりますが、前の例では「言葉で伝えられない・・」というのは、言葉に置き換えることが難しいのか、発語自体が難しいのか、あるいは対人面で不安が大きく緊張から混乱してしまうのか・・細かい部分で制限の内容は異なります。

そして、練習や経験が重なることで、自分で獲得できることもあるかもしれないのです。

そうなると、家族のフォローが無くなっても自分で自分をフォローできるようになります。

今は、家族等のフォローがあるのが習慣になっているという可能性もあるのです。

良く言われることですが、家族が代わりにやってしまうことで、自分でやらなくなる・・ということは確かに就労移行支援事業所ユースターを利用される方にもみられることです。その状況は、本人の生育歴の中で生み出されたサバイバル方法ですので、決して否定されるべきものではなく、積み上げてきたこと自体は尊重すべきことです。しかし一方で、そこから本人の自助力の真実は見えにくくはなっていますので、客観的に自助力を測ることが良いのかもしれません。


自分でもできること、自分も家族もそれを知っていながら、つい家族がフォローしてしまうことがあります。そうなる気持ちは良くわかりますし、そのこと自体に問題があるわけではないと思いますが、本人にはできる力があることを家族は忘れてはならないと思います。


そして、親なきあとの不安から、せめてその項目を削除できたら良いのではないでしょうか。(その時になったらやるはず・・と)

その項目を親の不安から削除するためには、客観的に自助力がどの程度あるかをみるべきなのかもしれません。それには家庭外で過ごす時間、社会で過ごす時間を多く作ることだと思います。専門機関や身近にいる支援者の何気ない評価「これは○○さんは自分でやっていますよー」の客観的なアドバイスも参考になるかと思います。


やり方がぎこちない、時々失敗する・・・などが不安として残る場合もありますが、経験を重ねることで獲得できる力は相当あることや、本人自身が元々持っていること、周りを見る力があれば、そこから新たに習得できること、失敗経験によってリカバリーできる能力などを信じれればと思います。


次に

②「フォローが無くなってしまう(=ゼロになる)」

親なきあとが心配になるのは、今まで親が本人に代わってやっていたことや、色々受けていたサポートが一変するのでは?という点かと思います。


次のブログでこの点について書かせていただきます。

(ブログは毎週月、水、金曜日に発信しています)


つづくー


ゴミ集積場の様子
自分一人で生活できない部分は何か・・

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